11:59 PM投稿記事の長さ:枕草子 冒頭 × 40.9個 くらい

フェルマーの最終定理 350年越しの数学ドラマ 1/3

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皆様、いかがお過ごしであろうか? 最近そこらへんの小学生より引き算の遅い野地である。

デザインの仕事をするときは個人的に8を基本単位としてデザインをすることが多い(モノの大きさやマージンが8の倍数)ので、九九の範囲内であれば暗算で済むものの、それよりも大きい数を扱う時はやはり電卓が手放せない。

これでも高校卒業辺りまでは理系だったハズなのだが、単純計算を扱う部分の脳みそは小学生高学年をピークに腐り始めてしまったので、当時のテストでも時間内に問題を解き終えるのがやっとだった。

しかし、現役時代には苦痛でしかなかった数学も、今社会人になってから何気なく教科書を開いたりすると面白く感じるから不思議だ。

きっと受験だとかテストだとか関係無しに読む教科書は脳が別モノと判断するのだろう。特にあの忌々しかったU字型の二次方程式の理屈なんかは面白く感じた。

もしかしたら、今時間に追われずに、趣味として数学を勉強したら結構いい大学レベルまでいけるのではないか、なんて考えながら今度は数iiiの教科書をめくってみると現実が自分の肩に手を置くのが分かったが。

さて、そんなふうに自宅で数学の教科書を引っ張り出したきっかけが、今回の記事で紹介する「フェルマーの最終定理」にまつわる話である。

フェルマーの最終定理、という単語自体は有名なのでご存知の方も多いと思われる。が、その定理が数学史まれに見る、350年越しのドラマを産んだ超難問だということは知っているだろうか。

しがないエンジニア・デザイナーである自分は数学界の常識を知らないが、ここまで多くの人が関係し、巻き込まれ、話題になった問題は数学史に類を見ないものだと思われる。

そんなフェルマーの最終定理に関する様々なメディアに触れ、自分なりに纏めたものを今回の記事として皆さんにお届けしようと思う。

是非、数学嫌いなあなたもその拒絶反応はわきに置いて楽しんでみて欲しい。

目次

今回は序盤編、現代に入るまでの物語を紹介しようと思う。

  1. 史上最強の釣り師が残した360年越しの超難問「フェルマーの最終定理」
  2. 「フェルマーの最終定理」の実態
  3. オイラーによる最初の一歩
  4. 女性数学者ソフィの奮闘
  5. n=100まで
  6. ゲーデルの不完全定理による追い打ち
  7. まとめ

史上最強の釣り師が残した360年越しの超難問「フェルマーの最終定理」

表題で「史上最強の釣り師」と書いたが、実際その人物は嘘つきでもなければ詐欺師でもない。弁護士である。

ピエール・ド・フェルマーは「史上最強の釣り師」ではなく、正しくは「数論の父」と呼ばれるほどの業績を残した人物なのだが、本業は弁護士で、数学は趣味として研究していたという異色の人だ。

それだけでも特徴的なのだが、さらに面白いのはフェルマーが当時の水準を上回る難問を用意し、それを本業の数学者に送り付けていたという点である。

そのあまりの難題さに、デタラメを送り付けるな、と憤慨した数学者も多かったらしいが、フェルマーはただの一度も間違った問題を送ったことはなかったという。

アマチュアが本業をはるか上のテクニックでからかうという漫画のような人であったフェルマーだが、実は同じ時代を生きた数学者だけでは飽き足らず、直接手紙を送れない後世の数学者のために最高の難問を用意していた。

それが名前なら聞いたことがある人も多いであろう、「フェルマーの最終定理」である。

「フェルマーの最終定理」の実態

発見されたのは彼の愛読書である古代ギリシャの数学者ディオファントスが書いた「算術」という本の余白部分だ。

彼はこの本を読んで思いついたアイデアを本の余白に書いていたのだが、ここでも彼は、後に誰かがそれを読むことを知ってか、問題に証明を付けなかった。

その数は全部で48か所で、47の問題は後世の数学者によって証明が与えられたが、どうしても証明できない問題が一つだけ残ってしまった。

最後に残ってしまった点と、そのあまりの難易度が「フェルマーの最終定理」と呼ばれる所以である。

しかも、この問題の横には後に世界中で有名となる、こんな言葉が書いてあった。

「私はこの定理について真に驚くべき証明を発見したが、ここに記すには余白が狭すぎる。」

よくネットで見かける、「~するには余白が狭すぎる」という言い回しの元ネタはこれである。

個人的に、この言い回しは世界で最も成功したコピーライトだと思うのだが、いかがだろうか? なんせ、この文句と問題そのものの魅力で、その後350年間人々を振り回してきたからである。

さて、このフェルマーの最終定理という問題、証明が難しいのも一つだが、何より恐ろしいのは問題の意味を理解するには中学生程度の知識で十分である点だ。

ざっと説明しよう。

まず、思い出してほしいのが中学で習ったであろう直角三角形である。

この三角形には色々な特徴があるが、その中でも今回話題にしたいのは、

斜辺(90度の角である直角に関わっていない辺)以外の二辺それぞれの2乗を足すと斜辺の2乗と等しくなる

というもので、式として表すと

X^2 + Y^2 = Z^2
(”^”は指数表記)

となる特徴だ。

x^2+y^2=z^2の場合、3^2+4^2=5^,5^2+12^2=13^2 etc...

この世には色々な直角三角形があるが、その分この式が成り立つ例は無数にあるということになり、前述の式の中にある変数(X,Y,Z)の組み合わせは幾らでもある。

数学の証明では一つでも実例を示せれば正しいことになるため、もちろんX^2 + Y^2 = Z^2は正しいということになる。

では、今度は各変数を3乗してみたらどうか。

X^3 + Y^3 = Z^3

2乗で幾らでも成り立っていたのだから、すぐに一組くらい(X,Y,Z)の組み合わせが見つかりそうなものである。

結論から言うとこの式が成り立つ(X,Y,Z)は存在しない。

この記事を読んでる方の中に数学者、もしくはそれに準ずるスーパーマンが居た時のために条件を書いておくと、

  1. ここでは自然数を0を含まない正の整数(1,2,3,4,5…)と定義する
  2. X,Y,Zはそれぞれ自然数である

という条件のもと、この結論にたどり着く。
さらに念のため書いておくと、X,Y,Zとしている通り、X≠Y≠Zである。

しかも3だけではない。3以上の整数で累乗したこの式はいかなる場合でも成り立つことはないのだ。

つまり、

nが3以上の自然数であるとき
X^n + Y^n = Z^n
を満たす自然数(X,Y,Z)は存在しない

ということになる。

これこそが「フェルマーの最終定理」そのものである。

nが3以上の自然数であるときX^n + Y^n = Z^nを満たす自然数(X,Y,Z)は存在しない

前述したとおり、数学では一つ実例を上げられれば証明が成り立つのだが、反対に「成り立たない」ことを証明する場合はありとあらゆるすべての場合を否定する必要がある

これは俗に言う「悪魔の証明」と言われるもので、例えば「サハラ砂漠にコンタクトレンズが落ちていることを証明せよ」という問題ならサハラ砂漠に落ちているコンタクトレンズを一つ探し当てればいい。

しかし、これが反対に「サハラ砂漠にコンタクトレンズが落ちていないことを証明せよ」という問題だったら、サハラ砂漠の隅から隅までを探索して、それでもなおコンタクトレンズが落ちていないことを確かめなくてはならないのだ。意味が反対になっただけで、証明は各段に困難になるというわけである。

フェルマーの最終定理に話を戻そう。ご存知の通り、数というものは無限にある。

もしサハラ砂漠が無限の広さだったら、前述の問題を物理的な総当たり探索で探すのは不可能だ。

だが例えば「コンタクトレンズは人間しか持ち込まない。かつ、コンタクトレンズを着用した人間がサハラ砂漠に侵入しようとするとその前に必ずコンタクトレンズが消滅する」などといった定理が証明されれば、間接的に証明は可能である(これはただのたとえ話で、現実にそのようなことはない)

よって(X,Y,Z)の組み合わせが無限であるフェルマーの最終定理を証明するにはこのような間接的証明をする必要があるのだが、これが恐ろしく難しく、歴代の数学者たちでも歯が立たなかったのだ。

オイラーによる最初の一歩

誰でも理解できるのに、誰も証明できない。しかも出題者であるフェルマーはその証明をしたと言っている。

このような問題をいざ我が解かんと、プロ・アマチュアを問わず様々な人間が証明に挑戦し始めた。

しかし、そこから100年間は一向に解決の兆しは見られなかったという。

17世紀・18世紀はけして数学が停滞していた時期とは言えず、むしろ応用数学が爆発的に発展し、万有引力の法則で有名なアイザック・ニュートンによる微分積分学が創始されたのもこの頃である。

余談だが、ニュートンは微分積分学の発見について「フェルマー氏からアイディアを得て着想に至った」と明言してる。フェルマーの天才ぶりが良くわかる話の一つだ。

そんな中でさえこのフェルマーの残した問題は難攻不落ぶりを見せつけていた。

そして、やっと最初の一歩を踏み出したのが、数学史上最多産といわれる大天才、レオンハルト・オイラーである。

エジソンはその特許数の多さから「発明王」の名をもつが、オイラーはその数学版とも言うべき人物だ。

しかも、彼が生涯に書いた論文の数は今だかつて誰にも破られておらず、まさに「計算をするために生まれてきた」数学者であろう。

そんなオイラーもこの難問に挑戦した一人で、しかもフェルマー本人以降、初めて進展を見せたうちの一人だった。

オイラーは数学の難問を解決するのに「最初に大まかな解を求め、それを繰り返していき精度の高い解を得る」というアプローチを初めて導入した人で、フェルマーの最終定理に関してもいきなり全ての数についての証明に乗り出すのではなく、まずは一つの数に関しての解を求めようとした。

フェルマー自身によってn=4の場合の証明はメモとして発見されたが、オイラーは独自にn=3である場合についての証明も果たしのである。

たかがn=3のワンパターンしか証明できていないじゃないか、と思うかもしれないが、n=3の場合を証明できたら実はn=6、n=9、n=12…といった3の倍数の場合はすべて証明したことになる(例:x^6=(x^2)^3と書き換えることが可能なため)。

すなわち、最初の一歩といっても、オイラーの踏み出した一歩は相当な割合でフェルマーの最終定理を攻略したのだ。なぜなら、この論法でいけば、フェルマーの最終定理はn=3とn=4以外の全てを証明する問題ではなく、3以外の素数全てを証明する問題となったからである。

しかし、いかに大天才オイラーといえど、この問題を一人で解決するのは流石に無理だった。

後に分かることだが、このフェルマーの最終定理は21世紀になってやっと証明のための大道具がそろう問題であり、個人のインスピレーションや計算力でどうこうなる問題ではないのだ。

日本の数学者である藤原正彦の例えるところによれば、「幾ら高いジャンプができる人であろうと、月の石を持ち帰ることはできない。それには現代まで積み上げられた科学技術によるロケットという大道具が必要なように、フェルマーの最終定理ら、歴史的難問の解決にはその時代までに、数学が積み上げてきた専用のロケットが完成していなければいけない」ということである。

かくして、オイラーの一歩を引き継ぐ者の出現を数学界は待つことになる。

女性数学者ソフィの奮闘

オイラーの次に進展があったのはフランスでの出来事である。しかも、その進展を生んだ数学者はなんと女性だった。

今でこそ女性の社会進出が当たり前となってきたのだが、当時のフランスでは高度な学問は男性が収めるものであり、特に数学などは女性の頭で理解できるものではないとされていた。

そんな中、親にまで勉強を妨害されつつも数学に情熱を燃やし、男性の偽名まで使って数学を研究したのがソフィ・ジェルマンその人である。

彼女は性別を偽るため、大学に在籍こそしているものの出席していない男性の名前を拝借し、大学の問題集を入手、レポートを提出する権利を手に入れた。

だが、あまりにも彼女の出す回答が高度で素晴らしいものであったため、当時大学の講師をしていたオイラーと並ぶ天才ジョゼフ=ルイ・ラグランジュの目にとまってしまう。

ラグランジュは、突然改心し素晴らしい数学的解答を繰り出す男子生徒に興味を持ち、彼(彼女)へと面接を申し入れた。

しかし、約束の時刻に姿を現したのはなんと女性であり、ラグランジュは相当驚いたという。

しかし、ラグランジュは男性と偽って大学に在籍したソフィを責めることはなく、それどころか彼女の指導者となることを約束したのである。時代に苦しんだソフィの道が、このとき開けたのだった。

それからラグランジュの下で力を付けていったソフィは、フェルマーの最終定理の研究にとりかかる。

オイラー以降、またしても停滞気味であったフェルマーの最終定理ではあるが、前述したとおり証明する必要があるのはnが素数であるときのみである。

ここでソフィは、nが素数である場合は証明が成り立つかどうか、という視点ではなく、nが素数の場合にフェルマーの最終定理がどんな特性を持つか、という視点から定理を研究し始めた。

この研究成果をもとに、別の数学者たちがn=5の場合とn=7の場合についての証明を完成させることになる。具体的なnの値に対する証明ではなかったものの、ソフィの研究のためフェルマーの最終定理は次のステップへと進むことができたのだった。

後にソフィはカール・フリードリヒ・ガウスへとこの研究成果のことをまたしても男性偽名を使い手紙で伝えている。

ガウスとはソフィが尊敬してやまかった、19世紀を代表する大天才であり、近代数学の全分野に影響力を持ち、それだけではなく物理、天文の分野でも第一線を走っていた人物である。

彼も時代を代表する大天才の一人だが、不思議なことにフェルマーの最終定理にはあまり興味を示さなかったという。

実際に彼が友人とやり取りした手紙には、世間で騒ぎになっているフェルマーの最終定理に興味が持てない、という内容が残っている。

しかし今となっては、実はガウスほどの天才でもこの問題には歯が立たなく、仕方なく彼はこの難問に興味がないふりをしていたのではないかという憶測をする人も多い。

しかし、そんなガウスもソフィから送られてきた研究成果の素晴らしさに触れ、喜びに満ちた返事を送り返したという。

そんな折、時の皇帝であったナポレオンがガウスのいるドイツへと攻めいることになった。

信心深く、君主制を支持していたガウスが殺されてしまうという危機を察知したソフィは、知り合いであるフランスの指揮官にガウスの身の安全を確保してくれるように頼み込んだ。

指揮官は約束通りガウスを保護し、ガウスは一命をとりとめたのだが、このとき司令官は命を助けたソフィの正体をガウスに伝えてしまう。

今まで男性として文通してきた聡明な若者は実は女性だったことにガウスは驚いたらしいが、ここでもガウスの彼女に対する態度は変わらなかった。

以降、文通によって変わらず良い関係を保っていた二人だが、その後ガウスは純粋数学への興味よりも物理学への興味が勝り、純粋な数学者であるソフィとの文通もおざなりになってしまう。

しかし、驚くべきことにソフィはそのガウスのことを追って物理学者へと転身、そこでまた大きな成功を収めることになる。

ガウスはソフィの業績を再度高く評価し、女性だからという理由で正当な評価を下さなかった大学に対しそれに見合う名誉を授けよと訴えたのだが、その訴えが現実となる前に、ソフィは乳がんでこの世を去ってしまう。

女性差別に苦しみつつそれでもなお数学への情熱を失わなかったソフィ。

彼女が残した研究成果は、後の数学者によって大いなる一歩として拡張されることとなる。

n=100まで

ソフィの研究により、フェルマーの最終定理はさらなる進展を見せた。

まず、ペーター・グスタフ・ディリクレがn=7の場合については失敗するものの、n=14についての証明に成功。

続いて、ガブリエル・ラメがn=7の場合について証明に成功。

ラメは証明の後、なんとその際に用いた証明法を用いてフェルマーの最終定理を完全証明したと宣言した。

だが、同じ時期にオーギュスタン=ルイ・コーシーという人物がほぼ同じ方法によってフェルマーの最終定理を証明したと主張、ラメとコーシーはどちらが先に完璧な証明を仕上げられるかで競い合った。

そして両者の証明が発表され、審査にかけれることになる。

この時点でフェルマーから200年弱が経っていたが、大方の数学者はこれでこの難問に決着がつくと思っていた。

しかし、エルンスト・クンマーという人物により、両者の証明に共通した穴が発見されてしまう。

彼らは証明の一部に虚数(虚数の基本単位をiとするとi=√-1とされる数。普通、1及び-1を二乗すると1になるように、実数を二乗すると必ず正の数になるが、負になる数が存在する、と仮定した場合の数)を用いていたが、虚数を用いてしまうと本来一つだけに絞られてしまう解が複数存在してしまい。証明の網の目をすり抜けてしまうケースが発生してしまうことを彼は指摘したのだった。

彼はその後、理想数という概念を証明の道具として導入、n=100以下の場合において定理が正しいことを証明することに成功する。

しかし、その理想数という概念を用いても、ほんのわずかな数が網の目をすり抜けてしまう。

もちろん、そうこうしている間にも別のアプローチがとられたり、既存の理論を拡張し、証明に挑んだ者は居た。

しかし、いくら残った範囲が狭まろうと、証明の対象は無限の域を抜け出せなかった。

無限の中にも大小はあれど、どれも等しく無限は無限という意味を持っており、フェルマーの最終定理が有限個の解を待つのみ、という状況はやってこなかったのである。

こうして先人たちの努力も虚しく、その当時最先端の数学を用いても証明できなかったフェルマーの最終定理はまた眠りに入ってしまうのだった。

ゲーデルの不完全定理による追い打ち

1900年代に入り、まだフェルマーの最終定理に挑んでいる数学者はまだいたが、1930年、クルト・ゲーデルという数学者が数学界の常識をひっくり返しかねない定理を証明してしまう。

「ゲーデルの不完全定理」というこの定理は端的に言うと「数学にはどうあがいても証明不可能な問題が存在する」というものであり、全ての問題は「正しい(真)」か「正しくない(偽)」の二つに分けられる、と思われていた数学の問題には実は僅かながら「どちらともいえない(証明不能)」という問題が存在するというものである。

この問題のたとえ話によく用いられるのが「エピメニデスのパラドックス」である。

あるクレタ人が「クレタ人は皆嘘つきだ」と言った。

さて、これが正しい(真)であるとすると、クレタ人は皆嘘つきである。

よって、このクレタ人が言う「クレタ人は皆嘘つきだ」も嘘である。

しかしそうすると、最初に正しいとした「クレタ人は皆嘘つき」という事実は正しくなくなって(偽)しまう……。

これと同じようなことが起こる数学の問題が存在することをゲーデルは数学的に証明したのである。

直感的には受け入れがたいこの定理だが、直感的には正しくなくても、ゲーデルが示した定理の証明には穴が無いようだった。数学は正しい証明をされた定理は永遠に真であり、ゲーデルの不完全定理は覆しようのない事実なのである。

さて、この問題にショックを受けた数学者は大勢いたが、中でもフェルマーの最終定理にとりかかろうとしていた数学者たちは特にショックを受けたに違いない。

ここまで大人数の凡才大天才ひっくるめた数学者達が挑んでも崩れないフェルマーの最終定理は、もしかしたらゲーデルの言う「証明不可能な問題」なのではないだろうか……

そんな感想を抱いたであろう数学者達の中で、次第にフェルマーの最終定理に挑む人間たちは少なくなっていったという。

絶対に解けない可能性がある問題、しかも、解けたとしてもあのオイラーやガウスですら歯がたたなかった問題に、人生をかけるわけにはいかない。

いつしかフェルマーの最終定理は、それに挑むこと自体が禁忌である、秀才殺しの問題として認知されるに至ったのだった。

フェルマーの最終定理はまたしても次世代の手に委ねられた。

まとめ

さて、フェルマーの最終定理にまつわる数学ドラマの序盤編、いかがだったろうか。

数学という学問は様々な科学分野における共通言語として世の中の発展に貢献しているが、19・20世紀を代表する数学者のゴッドフレイ・ハロルド・ハーディは「最も美しい数学はそれ以外に応用ができない」と語っている。

事実、今日における純粋数学の全てが他の技術に応用されているとはとてもいいがたく、普通の人からしたら無益な学問に精を出していると感じる人もいるだろう。

しかし、フェルマーの最終定理に代表されるような問題は、それだけで歴史的価値があり、誰にでも知られたその問題を解いたのは自分だ、という名声が手にするというのは数学者であれば誰でも夢見たことなのだろう。

そして次回、中盤の記事ではそんな夢を実現した一人の数学者と現代におけるアプローチを軸に紹介するつもりだ。

今回の記事を楽しんでいただけたら、是非次の記事も読んでみて欲しい。

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