2:48 AM投稿記事の長さ:アメニモマケズ × 18個 くらい

マグリット展を楽しんできた 勝手にレポート&考察

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国立新美術館で開催されている、念願のマグリット展(2015年6月29日まで)へと行ってきた。

ルネ・マグリットは自分が一番好きな画家であるし、都内であれば通勤定期でだいぶ安く行ける。

そんなわけで普段は寝坊に寝坊を重ねる休日であるが、多少早起きして六本木へと向かった。
著作権的な問題で画像は全然貼らないが、感動をブログへと残しておくことにする。

マグリット絵画の特徴

マグリットの絵画
マグリットといえば、ダリやエルンスと並ぶシュルレアリスムの代表的な画家だ。

一口にシュルレアリスム絵画と言っても彼らの絵画は大きく分けて、実験的な描画法などを用いて無意識の世界を描き出そうとした画家と、写実的な描き方でありつつも非現実的で奇妙な世界を描く画家がおり、マグリットは後者にあたる。
(前者に興味がある方はマックス・エルンスト、ジョアン・ミロ。後者に興味がある人はサルバドール・ダリ、イヴ・タンギー辺りを調べてみるといいかも)

マグリット絵画最大の特徴は、物事の組み合わせを有り得ない物に置換するデペイズマンという手法。
時間や大きさ、重力や材質等の要素が、見慣れた物に対して有り得ないような組み合わさり方をするのである。

有名な絵であげれば、森の中にある町並みは夜なのに空は昼の青空である光の帝国や、山の風景の中、あまりにも不自然に浮かぶ(置かれている)巨岩を描くガラスの鍵、木々と馬に乗る女性の前後関係がありえない組み合わせとなっている白紙委任状等がわかり易いであろうか。

不可解なタイトルと共に見るものを考え込ませる彼の絵画はいつでも新鮮な驚きと混乱を与えてくれるし、今日のポスターなどにもその影響が見られるものが少なくない。基本人間はいつの時代でも、不気味でありつつも不思議なものを敬遠してるようで、実は興味津々なのである。

実際に見に行って(初期作品)

小田急線に揺られたあとに大江戸線へと乗り換え、六本木駅に到着。少し歩いた所に見えた国立新美術館でチケットを買い、いざ二階の展示室へ。

流石は一番好きな画家の展示である。特別展にありがちな最初の挨拶文ですら面白い(その他の展示にある挨拶文を冗長と言うつもりはないのだが、いつもは読み飛ばしてしまうことも多い)。

挨拶文を読み終え、第一章である初期作品の展示へと足を踏み込むと、いい意味でマグリットらしくないような絵が並ぶ。
マグリット自身がまだ完璧に自身のスタイルを構築しきっていない時期の絵画のようで、キュビズムのようなスタイルのものが多かった。
しかし、個人的に興味をそそられたのが、絵画作品の向かいに展示されていた商業デザインの作品達。

マグリットは生計を立てるために様々なグラフィックの仕事をこなしていたらしいが、有名な絵とはまた違う、アール・デコ調のポスターや挿絵が意外と魅力的で、思わず立ち止まってしまった。
特に、プリムヴェールというタイトルの、不健康そうなお姉さんが描かれた喜劇舞台のポスターがツボで、色使いや退廃的な雰囲気が妙に印象に残った。芸術的な意味で、なんとも魅力的なお姉さんである。

自分がデザインに携わり始めてからか、ポスターという物に絵画と違う魅力を感じることが増えたが、このマグリット展でそれを感じようとは意外だった。元々マグリットは絵画の中に文字を描き入れるという、人によっては禁じ手ともされる手法を扱う画家ではあるが、それら絵画にはこのようなデザインの仕事のノウハウが活かされてるのではないか、と勝手に想像してしまう。

実際に見に行って(いつものマグリット前半)

こういう絵も描いていたのだなあ、と思って二章の部屋へと進むと、そこからは我々の知るマグリット節が全開であった。

初めて自らのスタイルを構築したこの時代の絵画たちは、晩年近くの作品たちに比べると知名度の劣る作品が多いが、この時既に彼のスタイルが持つ軸は完成されており、それを絵の中に見ることができる。
特に、彼が生涯好んで用いたモチーフであるビルボケ(西洋けん玉)や模様の切り取られた紙、馬の鈴や青空等が既に登場しているのが感慨深い。
他にも、青空だけ描いてある絵のタイトルが「呪い」であったり、文字とイメージと事物の関係について詳しく述べている図があったりと、節々に置かれている絵画それぞれが興味深い事の連続で、一人の画家だけを取り上げた展覧会特有の飽きや疲れを感じさせないあたりはお見事である。

三章へと足を進めると、見慣れた絵が多くなってきた。

かつて美術の教科書で見た、風景の見える窓の前に置かれたキャンバスに描かれた風景が背景と一致している不思議な絵(人間の条件など)や卵を見て鳥を描く自画像(透視)が実物で目の前に並んでいるのには感動した。

人波を迷惑にならない程度にかき分け、お目当ての絵を近くで味わうのは美術館の醍醐味であるが、描いてある絵の「意味」も楽しめるマグリットの絵はかなり遠くから見ても違った意味で味わい深い。更に今回は絵を見ながら妙な顔で考え込む鑑賞者達とセットで鑑賞することで、マグリット本人が思い描いたであろう混乱した人々も絵画の一部であるように感じた。

マグリットがもし存命で、なに食わぬ顔で観客に混じっていたら、彼はさぞ楽しそうであろう。

実際に見に行って(意外なマグリット)

そして第四章へ進むのだが、意外な作品にまたしても出会った。

まず、ルノワールあたりの画家のような印象派タッチで描かれた作品群。
美しい人魚を描いたかと思えば、鳥を貪り食べる少女の絵があったりと、内容はヘンテコ(もちろんいい意味で)ではあるものの、いつもの古典的リアルタッチではなく、カラフルで太い点が見えるようなタッチの絵画達はいつものマグリット作品に流れる済んだ空気感ではなく、暖かく柔らかい雰囲気を孕んでいた。
写実的な絵にももちろん美しさというものはあるのだが、印象派が打ち出した美しさは写真等の手段が登場した現代でも決定的な価値を持っている。
マグリットが描く不思議な世界にその美しさが加わることによって、その絵が持つ芸術としての意味が変質しているのが感じられたのは面白かった。

そしてなにより驚いたのが、フォービスムそのものであるかのような作品で、マグリット自身がこれを描いたということ自体が、彼が鑑賞者に仕掛けた新手の罠であるのか? と思わせるような強烈さであった(参考、タイトル「絵画の中身」)。

それ以降はまたいつものタッチで描かれた作品達に戻るのだが、この章が中盤のアクセントになっていたのは間違いない。
マグリット自身がこうなることを計算していいたとは思わないが、本当に鑑賞者を飽きさせない画家であることを感じた。

実際に見に行って(いつものマグリット後半)

そして最終章である五章目は目玉作品のオンパレード。これぞ眼福であった。

冒頭で紹介した作品を始め、海岸線上の曇った空を鳥の形の青空で切り取った恐らく一番の有名作である大家族、パンフレットの表紙にもなった無数の男たちが街に浮かぶゴルコンダ、そして自分が一、二を争う好きな絵である、空中に巨石の浮かぶ現実の感覚などの実物に、目を奪われっぱなしであった。

この頃になると、今まで日常的な風景の中に奇妙な組み合わせを描いてきた作品群から、その世界まで変化が及んでくる。
長年積み重ねてきた、彼のスタイルに対する自信の表れにだろうか。

登場するものが全て石材であったり、重力を無視していたり、顔が青りんごに置き換わっていたり。

あれこれ考えているうちに閉館が近いアナウンスが聞こえてしまった。
もう一度行きたいぐらい、まだまだ楽しめそうな展示会であった。

マグリット展は、このブログを公開するあたりから二週間弱は開催しているはずなので、是非足を運んでみてはいかがだろうか。
きっと、想像している「芸術」の枠から大きくはみ出た体験ができるだろう。美術館はけして堅苦しいものではないが、まさに「イメージの裏切り」にこれほど適した展示会もなかなかないだろう。

まとめ

ここまで見ていてしょうもない結論だが。

マグリットは深くて難解なことを考えていた反面、ただ単に人を驚かせ、困らせて、考え込ますのが好きでこのような作品を生み出していたのではないだろうか。

彼曰く、彼の作品は「目に見える思考」だという。

思考を絵画として出力することを主題に制作をしていたのは間違いないし、彼の作品における重心はまさにそこにある。

しかし、自分にはどうも、そのような理由だけで絵を描いていたようには見えないのだ。

世の中には、十分認められるだけの技術、価値の中でのみ生きていられる「ふざけ」というものがある。
マグリットは彼の持てる芸術的技術、価値の中に、彼なりの「ふざけ」を詰め込んで世に放っていたのではないだろうか。
それがけして絵の邪魔になるのではなく、むしろ特徴として生きているのが、彼の絵の本質的一面なのだろう。

あの世で、マグリットが笑っているような気がする。かけた方も、かかる方も面白いのが彼の絵画、芸術なのだ。

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